内藤さんが玄太郎さんと石巻でおこなったボラ報告ですー
☆概要
カナダ人カメラマンが、ボランティアセンターと連絡を取り合い、友人等に声を掛けて土日のボランティア活動のコーディネートしている。参加者は60名ほどで毎週行っている。
私が参加したのは、秋葉原から出発した17名のグループ、Bonita Team。そのうち、日本人は5名。会話はほとんど英語、時にフランス語。何人かは日本語も少し話せました。国籍はバラバラ。
参加費は1万円。朝・昼食・水は自前で用意。夕食代は別。
☆内容
16日 5時15分に秋葉原集合。6時出発。
途中、東北道の「安積SA」で休憩。参加者の一人がガイガーカウンターを取り出し計測。数字は1ミリシーベルトぐらい(東京では0.5)。「安心して深呼吸ができる」とアメリカン・ジョークが飛び交う。
東北道は、福島あたりからやや段差ができているが、問題なく通行可能。仙台から石巻の区間が制限速度50Kmになっていたり、道路状況が悪いのは、ゆめ風ブログ通り。支援に向かう車両が多い事もあって、渋滞が多い。
昼前に石巻市立小学校到着。校舎の1F部分まで津波が押し寄せた後がある。2F以上は避難所になっている。自衛隊、他府県からの医療チーム、ボランティア団体、郵便局の車両などが校庭に停車していた。
ボランティアセンターのスタッフから作業内容を聞き、2グループに分かれて作業開始。
作業内容は、家の中の掃除。家主と共に、使えるもの・捨てるものを分別して、処理をしていく。被災者曰く、「家の中が洗濯機」。攪拌されて泥まみれ。だから、作業はまさに肉体労働。机や椅子、棚やタンス、そしてタタミなどを家の外に捨て、泥を土のう袋に詰め込んでいく。その中で、貴重品などを探すのだが、何が大切なのかは、結構気を使う必要アリ。
1軒目は、初老の夫婦の家。道路側に斜めに傾いていた。後でグーグルマップで確認したところ、元の場所から流されていたと分かる。
お孫さんの物と思われる物がかなりあったが、「全部捨てていい」と言われるも、その理由は聞けなかった。
2軒目は、建物自体は残っているものの、瓦礫が積み重なっており家の中に入ることもできない。だから、そのための通路を確保することから始まった。
作業自体は、この2軒目が翌日昼過ぎまでかかり、後は校庭に積み上げられた土砂を土のう袋に詰め込む作業で終わった(始業式が後日予定されていた)。
2軒目の家主に「今後はどうするのか」と聞いてみたが、「もうここには住まない、仮設住宅に入ってから、その後は考えたい」と。後は、仮設住宅の建設の遅さ、借家なので義援金を受けられない可能性、行政機能のマヒ、先の見えない不安、などの話を。
作業を終えた時、家主が「我が家のヒーローの記念撮影を」と集合写真を撮って、握手を求めてきた。参加者の一人が「掃除しかしてない」と言うと、「掃除すら出来ないんですよ」と。
宿泊は、仙台市内のラブホ「Bonita Hotel」。格安でボランティアを宿泊させてくれる(だから、Bonita Team)。サウナ付きの良いラブホ。
ホテル近くまでN倉さんに来てもらい、夏合宿の写真を渡す。
仙台市内繁華街は賑わっていた。中東料理店で懇親会。(仙台市は海沿いの若林区が津波の被害にあっており、東武有料道路からその惨状を見ることが出来た。)
翌日は8時に出発し、15時まで作業(ボランティア保険が9~15時までの適用なので、原則はその時間帯のみの作業。それ以外は「自己責任」)。その後、なんやかんやで17時ぐらいに出発。渋滞にも巻き込まれ、秋葉原に0時到着して解散。
☆その他
避難所の人に聞いてみたが、やはり障害者や高齢者はいないようだった。
避難所が嫌で家に戻る人もいるが、その人たちの把握は出来ていない(ボランティアセンターの人間が少なすぎて調査が出来ていない)。別のチームが家主から水や食料の不足を相談され、もって行った水と買った食料品を渡した。ただ、避難所にいれば、水や食料は沢山あるとのこと。
一帯はほぼ1F部分まで津波に襲われており、全壊扱いなのだが、業者を呼んでガラス戸の修理をしている家も見かけた。
・G太郎さんいわく、「また車を借りられるならお願いしたい」と。
・なかなかハードで、「誰でも参加」という訳にも行かない。
・被災地での直接作業、という点で参加するのはあり。国際色豊かなのは面白い。
・ゆめ風とこっちを組み合わせた派遣団とかアリかも。
以下、グーグルストリートの往時の街並みと撮影した写真との対比。
心臓が弱い人は見ないで下さい。
BEFORE

AFTER

☆概要
カナダ人カメラマンが、ボランティアセンターと連絡を取り合い、友人等に声を掛けて土日のボランティア活動のコーディネートしている。参加者は60名ほどで毎週行っている。
私が参加したのは、秋葉原から出発した17名のグループ、Bonita Team。そのうち、日本人は5名。会話はほとんど英語、時にフランス語。何人かは日本語も少し話せました。国籍はバラバラ。
参加費は1万円。朝・昼食・水は自前で用意。夕食代は別。
☆内容
16日 5時15分に秋葉原集合。6時出発。
途中、東北道の「安積SA」で休憩。参加者の一人がガイガーカウンターを取り出し計測。数字は1ミリシーベルトぐらい(東京では0.5)。「安心して深呼吸ができる」とアメリカン・ジョークが飛び交う。
東北道は、福島あたりからやや段差ができているが、問題なく通行可能。仙台から石巻の区間が制限速度50Kmになっていたり、道路状況が悪いのは、ゆめ風ブログ通り。支援に向かう車両が多い事もあって、渋滞が多い。
昼前に石巻市立小学校到着。校舎の1F部分まで津波が押し寄せた後がある。2F以上は避難所になっている。自衛隊、他府県からの医療チーム、ボランティア団体、郵便局の車両などが校庭に停車していた。
ボランティアセンターのスタッフから作業内容を聞き、2グループに分かれて作業開始。
作業内容は、家の中の掃除。家主と共に、使えるもの・捨てるものを分別して、処理をしていく。被災者曰く、「家の中が洗濯機」。攪拌されて泥まみれ。だから、作業はまさに肉体労働。机や椅子、棚やタンス、そしてタタミなどを家の外に捨て、泥を土のう袋に詰め込んでいく。その中で、貴重品などを探すのだが、何が大切なのかは、結構気を使う必要アリ。
1軒目は、初老の夫婦の家。道路側に斜めに傾いていた。後でグーグルマップで確認したところ、元の場所から流されていたと分かる。
お孫さんの物と思われる物がかなりあったが、「全部捨てていい」と言われるも、その理由は聞けなかった。
2軒目は、建物自体は残っているものの、瓦礫が積み重なっており家の中に入ることもできない。だから、そのための通路を確保することから始まった。
作業自体は、この2軒目が翌日昼過ぎまでかかり、後は校庭に積み上げられた土砂を土のう袋に詰め込む作業で終わった(始業式が後日予定されていた)。
2軒目の家主に「今後はどうするのか」と聞いてみたが、「もうここには住まない、仮設住宅に入ってから、その後は考えたい」と。後は、仮設住宅の建設の遅さ、借家なので義援金を受けられない可能性、行政機能のマヒ、先の見えない不安、などの話を。
作業を終えた時、家主が「我が家のヒーローの記念撮影を」と集合写真を撮って、握手を求めてきた。参加者の一人が「掃除しかしてない」と言うと、「掃除すら出来ないんですよ」と。
宿泊は、仙台市内のラブホ「Bonita Hotel」。格安でボランティアを宿泊させてくれる(だから、Bonita Team)。サウナ付きの良いラブホ。
ホテル近くまでN倉さんに来てもらい、夏合宿の写真を渡す。
仙台市内繁華街は賑わっていた。中東料理店で懇親会。(仙台市は海沿いの若林区が津波の被害にあっており、東武有料道路からその惨状を見ることが出来た。)
翌日は8時に出発し、15時まで作業(ボランティア保険が9~15時までの適用なので、原則はその時間帯のみの作業。それ以外は「自己責任」)。その後、なんやかんやで17時ぐらいに出発。渋滞にも巻き込まれ、秋葉原に0時到着して解散。
☆その他
避難所の人に聞いてみたが、やはり障害者や高齢者はいないようだった。
避難所が嫌で家に戻る人もいるが、その人たちの把握は出来ていない(ボランティアセンターの人間が少なすぎて調査が出来ていない)。別のチームが家主から水や食料の不足を相談され、もって行った水と買った食料品を渡した。ただ、避難所にいれば、水や食料は沢山あるとのこと。
一帯はほぼ1F部分まで津波に襲われており、全壊扱いなのだが、業者を呼んでガラス戸の修理をしている家も見かけた。
・G太郎さんいわく、「また車を借りられるならお願いしたい」と。
・なかなかハードで、「誰でも参加」という訳にも行かない。
・被災地での直接作業、という点で参加するのはあり。国際色豊かなのは面白い。
・ゆめ風とこっちを組み合わせた派遣団とかアリかも。
以下、グーグルストリートの往時の街並みと撮影した写真との対比。
心臓が弱い人は見ないで下さい。
BEFORE

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